雅楽 大宝律令千三百年の年に。

 

 

西暦701年、大宝律令で冶部省に設置された雅楽寮(うたまいのつかさ)が、わが国古来の音楽と中国や朝鮮半島から伝来した外来音楽を宮廷音楽として司り、更に楽制改革は約2世紀をかけ、平安期に日本雅楽として確立される。西暦2001年の本年はまさに日本雅楽伝承千三百年記念の年となる。

 
 

近年の日本における雅楽ブームは、雅楽や声明の海外公演における評価が逆輸入された感がある。もちろん東儀秀樹のひちりきの音や癒しの音楽としての雅楽・声明もあるが、私の経験上、特にEU諸国、米国における聴衆の雅楽知識の豊富さには驚かされる。雅楽における3つの管楽器、笙、ひちりき、龍笛に対する質問は特に大変高度なものである。笙は英語ではマウスオルガンという、17本の竹に組み込まれたリードの素材から持続和音の組み合わせまで質問される。ひちりきはオーボエと同じダブルリードの管楽器であるが、この短い管で何オクターブでるのか、龍笛はバンブーフルートであるが何故、龍、ドラゴンと言うのかと「雅楽の宇宙観(コスモロジー)」まで質問される。海外公演の楽しさでもあるが、雅楽や声明を初めて聴きました。すばらしいものですね。と日本大使館の人たちに誉められる時は複雑な気持ちになってしまう。

 
 

イムジチが演奏するヴィバルディの「四季」は日本でベストセラーのクラシック音楽。春夏秋冬を美しいメロディーとハーモニーで楽しませてくれる。季節感を多種の文化で表現することは日本人の得意なことである。雅楽の春夏秋冬もヴィバルディにない楽しみ方がある。鎌倉時代の樂書、管絃音儀に記されている冬は盤渉調ばんしきちょう(シ音)、春は双調そうじょう(ソ音)、夏は黄鐘調おうしきちょう(ラ音)、秋は平調ひょうじょう(ミ音)の響きとなる。同じ曲でも季節や形而上学で移調して演奏する。越殿楽という雅楽の名曲がある。黒田節の元曲と言った方がわかり易いかもしれない。この曲の盤渉調を聴いたが、原曲は平調であり黄鐘調でも演奏される。このように移調することを渡物わたしものと言われる。洋楽の場合は移調しても調は変わるがメロディーは同じである。雅楽の場合、メロディーはひちりきが奏でる。この楽器音域が狭いため、移調すると上、下の音が出なくなる。するとオクターブ上、下の音に変えてしまう。当然メロディー・旋律が変わってくる。洋楽にはない情緒感ある日本雅楽の楽しみ方である。

 

 

文部省も明治から百数十年の時を得て、やっと重い腰を上げてくれた。平成14年度より、学習指導要項(中学校)に日本の伝統音楽を取り上げることになった。個人的には日本音楽の源流と言える雅楽からではないのが残念な事ではあるが、西洋音楽一辺倒からは救われた感がある。平成の子供たちが国際人として活躍する時代、日本人としての個の再発見により、海外で日本雅楽や日本文化の質問に「知りません」と答えることがなくなる事を期待したい。

 

 

舞楽〜還城樂物語(げんじょうらくものがたり)〜は、室町時代の説話ではあるが作者、編者とも不明。古来より伝承されていた4つの舞楽、陵王りょうおう、還城樂げんじょうらく、抜頭ばとう、納曽利なそりが、物語の主人公となり、細部の構成は各舞楽の内容、特徴まで考察され組み立てられている。

 

 

物語は天竺の龍国と還国の話。龍国の王(陵王)の姫、馬頭女ばとうにょ(抜頭)は、還国の王(還城樂)の妃となるが、ある時、夫還城楽から父龍王の殺害を命じられる。苦しむ馬頭女に龍王は、自ら我が身の殺害の手立てを教え、遺骸を土葬せよと言い還城樂夫妻の手にかかる。目的を成し遂げた還王は妃を追放する。父龍王の廊の前で泣く馬頭女に虚空より声があり、龍王の忠臣、納曽利たちの助けで物語りは二転三転していく、、。

 

 

語り手の妙で4つの舞楽が進行するこの物語、作者の真意なるものを読み取ると、終章に「親は慈悲を持って子を教え、子は孝を持って敬うべき物也。」とある。室町の世を嘆き悲しみこの物語を作ったものと思われる。数百年の時が流れ、新聞紙上を賑やかす数々の少年犯罪の本質もこの物語の意の如く、平成の世にも合い通じるものではないだろうか。

 

                                                                         野原耕二(音楽プロデューサー)