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日本音楽の源流「雅楽」

多 忠輝 (宮内庁式部職楽部)

野原耕二(音楽プロデューサー)

 

 西暦七百一年、大宝律令で設置された雅楽寮(うたまいのつかさ)がわが国古来の音楽と中国、朝鮮半島から伝来した外来音楽を宮廷音楽として司り、更に楽制改革のもと以後、日本で創作された音楽などをまとめ約二世紀をかけ、平安時代に日本雅楽は確立された。

 西暦二千一年の本年は、日本雅楽伝承千三百年の年となる。

 日本が世界に誇る伝統音楽文化「雅楽」を再認識して頂くに相応しい年と言えるのではないか。歴史の古文書を引用しながら概略を紹介いたします。

 雅楽は三種類の音楽ジャンルに区分される。

一、国風歌舞(くにぶりのうたまい)

 日本古来から歌い舞、継がれてきた音楽

二、外来音楽(がいらいおんがく)

 古代シルクロードから流入した音楽や遣隋使、遣唐使によって持ち帰っ た音楽

三、歌物(うたもの)

 十一世紀頃日本宮廷貴族によって創られた「朗詠・催馬楽」などの歌物

 古事記、日本書記の記述から古代日本人と音楽は私たちの想像以上に密着していた「神武天皇、戦勝祝い、来目歌(久米歌)」を歌う。 「允恭天皇、天皇自ら琴を撫きたまひ、皇后起きて舞う。」など多くの記述を読むことが出来る。

 神楽歌(かぐらうた)、久米歌(くめうた)、東遊(あずまあそび)など国風歌舞は歌と舞に伴奏楽器として倭琴(わごん)、神楽笛、笏拍子(ゃくびょうし)が用いられていた。外来音楽の最古の記述は、「四五三年、允恭天皇崩御を悼み、新羅王が楽人八十人を使わされる。(日本書記)」哀悼の歌舞が盛大に開催された仏教伝来(五五二年)以後、外来音楽は多くの渡来人、遣隋使によってもたらされ日本音楽文化の一番賑やかな時代へとなる。

 特に朝鮮半島、百済の楽人「味摩之(みまし)」によって伝えられた伎楽は大和、桜井で少年たちに伎楽舞を伝授した。器楽曲や舞楽が広まり、宮廷儀式にもこれら外来音楽が盛んに奏するようになってき、更に聖徳太子などにより仏教法会にも外来音楽が取り入れられるようになり、宮廷、貴族社会から寺院(四天王寺、興福寺等)でもこれらの音楽が盛んに演奏されることとなった      

 大宝律令の発令とともに、日本音楽を司る機関として冶部省の中に雅楽寮(うたまいのつかさ)が設置され、多くの音楽を統括し、宮廷、仏教儀式はより華やか、厳粛なものになる。大宝二年、正月の賀宴では、「五常太平楽」が演奏された記述がある。中国の唐楽が初めて日本史の記述として残されている。     

 当時の音楽文化を知る上に重要な出来事として、東大寺大仏開眼法会七五二年(天平勝宝四年)が挙げられる。国風歌舞の五節舞、久米舞と外来音楽の唐楽、渤海楽、呉楽などが演奏された。国際色豊かな大イベントであった様子を現在、私たちは正倉院に伝承された楽器、文献の中からも大いに想像出来る。

音楽文化の多様性は楽制改革によって更なる大改革が行われる。特に外来音楽を整理し日本化することである。 中国、唐から伝来した音楽(林邑ベトナム、天竺インドを含む)を左舞。朝鮮半島から伝来した音楽(新羅、渤海を含む)を右舞と二分した。   

 

楽器編成を三管(笙しょう、篳篥ひちりき、笛)二絃(筝、琵琶)三鼓(鞨鼓かっこ、太鼓、鉦鼓しょうこ)の室内楽の編成にまとめ、更に唐の膨大な音楽理論の日本化にも着手したこの時代になると多くの日本人の雅楽の名人が誕生して、日本雅楽の確立という大事業を支えてきた。更に彼らによる新しい雅楽の名曲が創作され、外来音楽を日本雅楽の楽器編成で演奏できるように「渡物わたしもの」、西洋音楽で言う移調して演奏することも行うこととなる。

 平安期に入り、雅楽寮から始まった日本雅楽の確立は楽制改革の成果で千三百年伝承される日本音楽文化となる。この伝承の歴史には日本固有の伝承方法「楽家がっけ」の存在がある。世襲制度、一子相伝の口伝くでんによる伝承は、波乱万丈の日本史の中で消えることなく、ろうそくの火のように守り続けられてきた平清盛の厳島神社での奉納演奏。源氏物語の中の雅楽は平安雅の世界のエッセンスとして数多く描かれている。源頼朝、鶴岡八幡宮奉納雅楽。秀吉の聚楽第、醍醐寺での雅楽演奏。徳川家光の援助による節会、二条城での舞楽など日本史に数多く登場する雅楽。明治の東京遷都に伴い三方楽人(京都、南都=奈良、天王寺=大阪)たちは東京に集結し、現在の宮内庁式部職樂部となる。

日本音楽の源流として「雅楽」を捉えているエピソードのひとつとして、黒田節の話がある。何かの不祥事で都を追われ九州に流された楽人。もちろん雅楽の演奏も禁止されていた。都恋し、気持ちが募るだけ、、、、。  酒に酔うたび、雅楽の名曲「越殿楽」を吹きその気持ちを鎮めていた。

町行く人々にそのメロディーが広まり「黒田節」は九州の民謡となる。

現在、各地方に伝承される民俗音楽の源はやはり雅楽の影響を大いに受けている。神社の宗教儀式に関する神楽、豊作の祈りとしての田楽、きらびやかな装束で踊り歩く風流、寺院の行事としての延年系など民俗芸能の端はしに感じ取ることが出来る。

雅楽の楽器のうち笙や篳篥が祭囃子にないのは楽器の構造学的なことと思う。多くの楽人たちが、色々な事情で地方に行き、雅楽音楽を広めたのだろう。しかし笙のリード、篳篥のダブルリードを作ることは高等技術が必要であり、これらの民俗芸能が職業楽人ではなく民間によって伝承されろことにより、必然的に各地方に伝承された楽器は笛、太鼓が中心となっていった。

私たちが、普段なにげなく日常会話で使う言葉のなかに雅楽用語が色々あります「打ち合わせ」三方楽人が合同で奏楽するとき、演奏方法の違いから、前もって打ち物が打ち合わせをする。 「野暮(やぼ)」雅楽楽器笙は十七本の竹が組まれて出来ている。しかし2本の竹にはリードが付いていないので音が出ません。日本雅楽では取り入れられなかった「也(や)」と「毛(もう)」の音であり「や」と「もう」が変化しやぼ(野暮)となり、ものの役に立たないことを意味することとなる。

「二の句が告げない」「朗詠」は漢詩で歌われ、一の句、二の句、三の句がある。高音域の「二の句」は低音域の「一の句」から一転高い音で歌わなくてはならない、音が取りにくく、つまってしまうことから、受け答えの返す言葉がない時使われるようになった。「ろれつが回らない」雅楽の旋法には「呂(りょ)」と「律(りつ)」があり、その音階を取り違えると訳がわからなくなることから、舌がもつれて、うまく話が出来ないことを言う。その他にも「二の舞を踏む」「とちる」「千秋楽」「あんばい(塩梅)」などがある。

表一.雅楽の分類

  • 器楽        ・管絃(器楽)ー・唐楽 

    • 舞楽(舞踏音楽)・左舞〈唐楽)ー中国から伝来。

          ・右舞(高麗楽)ー朝鮮半島から伝来 

    • 歌物 ・歌物(声楽)ー

                ・催馬楽ー民の歌に管絃の伴奏の歌曲

                        ・朗詠 ー漢詩に旋律をつけた歌曲。

                   ・神楽歌ー宮中儀式御神楽で歌う。

            ・歌舞(舞踏)   

                 ・東遊 ー宮中、神社儀式。

                   ・大和歌ー宮中儀式。

                   ・久米歌ー久米舞の伴奏。